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建築 Archive

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「そうだ、バリにバンガローを建てよう」計画、始まる!

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2011-06-11 Sat 22:54:25
  • 建築
「そうだ、バリにバンガローを建てよう」計画とは?

バリが好きすぎて、毎年訪れるウブド近郊のテガララン村にバンガロータイプの家を
建ててしまえというちょっと無茶なマイプロジェクトです。

自分の滞在時以外は、一人旅でも快適・安心なアコモデーションとして貸し出していく予定。
今年秋頃の完成~オープンを目指します。

一体どんなシロモノが出来上がるのか?(本当に完成するのか?)
ドキドキのプロセスを写真を公開していきます

FBページで建築プロセスの写真を公開中です


IMGP2964.jpg
こんなイメージのバンガローを目指します!

村野節が響き渡る聖堂(世界平和記念聖堂)

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2008-03-11 Tue 22:28:08
  • 建築
広島市
世界平和記念聖堂

また忙しくなりそうなので、今のうちに・・・
未完成原稿ですがアップしちゃいます。
後に大幅修正するかもしれません、あしからず┌(_ _)┐


メイン


村野節が響き渡る聖堂

世界平和記念聖堂は世界で最初に被爆した広島の地に平和のシンボルとして
献堂されたカトリック教会ですが、設計者選定に関しては大きな波乱を
巻き起こしたようです。
コンペでは丹下・前川案が最も優れていたようですが、コルビジェ色が
強かったためイエスズ会側及び審査員の間で意見が割れ1等なし、
2等が丹下・前川案という結果となりました。そして、最終的になぜか
審査員であったはずの村野藤吾が設計者に選定されました。

同じく広島市内の平和記念資料館がコンペで1等となった丹下健三の
設計であることを考えると、なかなか面白いですね。

聖堂内部に入ると、宝塚カトリック教会や日生劇場の波打つような曲面を多用した
有機的な空間に比べて随分大味なつくりだな、というのが第一印象。

しかし、その印象はすぐに覆されます。
設計や造形からの視点だけでなく、内部を経験空間総体として見た時
そこはやはり「村野節」が存分に発揮された空間でした。

陳腐な喩えで申し訳ないですが、
建築家とはつくづくオーケストラの指揮者と似ていると思いました。
まぁ作曲家と指揮者の兼任といった方が近いかもしれませんが。

陳腐ついでに続けると、この聖堂はひとつの交響楽のようです。
ステンドグラスを通じてカラフルに彩られた「光」は音符や音程、
そして、側廊に規則正しく並ぶアーチの連続はリズムetc.

光の♪

ステンドグラス縦 縦4


時間の経過とともに光(自然光)は移動し、
刻一刻と変化していくその様はひとつの旋律が
内部空間を巡っているようです。
そして説教壇ではフィナーレが・・・

光のリズム横

柱自然光

光のハーモニー空間


村野藤吾の建築でいつも感心するのは、西洋の形式を使いながら
ちゃんと日本人のための空間が具現化され、さらに村野独特の味というか
深みが感じられることです。

ともすると、海外の優れた建築家や建築のエッセンスや要素を引用しまくり
という意地悪な見方もできてしまそうですが、結果的には村野建築となっている。
それも自分の個性やスタイルを表現しようとしているというよりも、
課題を達成するためにあらゆる手段やスタイルを検討・活用した結果、
“村野節”が空間に響いているという感じです。
村野ならではの“こぶし”が効いている、というか。
だから好き嫌いが激しいと思います。僕はすごく好きですが。

世界平和記念聖堂とは、村野藤吾が西洋交響曲の形式を活用しながら、
実は原爆の犠牲者へ向けて村野節で指揮した鎮魂歌だった。
といったら怒られるかな・・・。

パイプオルガン

扉縦 外観縦1

ディテール原論 (東山魁夷せとうち美術館 )

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2008-03-05 Wed 23:01:33
  • 建築
香川県坂出市
東山魁夷せとうち美術館

それにしても危機的状況が続きますなー
「えっ?何のこと?」と思った人は日本病です。
聖地へ行って感受性を高めましょう。。。


メイン



ディテール原論

昨年、東京から訪ねてきたデザイナーの友人と
「日本がヤバイ(悪い意味で)、世界から置いていかれようとしてるのに
何故みんなこんなに危機感がないのだろう?」
というような話をしていた(まだ日本株が暴落する前)
その時に、香港の金持ち連中とも仕事をしている彼が言ったことは
「日本人はディテールで勝負するしかない、そこでしか勝てない」だった。
至極名言である、と思う。(たまに名言を吐く奴なんです)

そしてこの年初、「東山魁夷せとうち美術館 」を訪れたとき、
改めて「ディテール」の意味を考えさせられた。

看板


設計は、僕の好きな数少ない日本人建築家のひとり、谷口吉生、さん。

東京国立博物館の法隆寺宝物殿や豊田市立美術館のようなキレキレの
設計が有名で、ほんとディテールの鬼のような人。
(いや実際は全然知りません、印象です)

で、この「東山魁夷せとうち美術館 」はイマイチ地味というかあまり
光が当てられることもなく、中にはやれ片手間仕事だの仕上げが粗いだの
建築分野からは厳しい眼差しを向ける人もいるようであります。

でも僕は現地でとてもいい気分を味わうことができたし、
やはり「ディテールの凄さ」を感じたわけです。

確かに指摘されているような「仕上げ」に関する甘さがあるのかもしれません。
(気付かなかったけど)
そうだとすればそれは「ディテールに優れている」と言うことはできないの
かもしれません。普通は。

でもそれでも僕は「ディテールが凄い」と言いたい。

ディテール縦1 ディテール縦2

ディテール横3

ディテール横2

ディテール横1

ディテール横4


通常「ディテールに優れている」とは、「細部に気を配り、妥協せずに
完璧な仕上げを目指す」というような良き職人的な仕事をイメージしますね。

それはその通りだと思うのだけど疑問に思うのは、
「ディテールにこだわらない一流の建築家」なんて存在するのか?
ということ。多分あまりいないでしょう。
キャラ設定上「豪放さ」を売りにしている安藤忠雄にしたって、
最後のコンマミリ単位にまで妥協しないかどうかが一流との分かれ目だ
というようなことを言っていたし。

しかし、そんな一流の建築家達の中にあっても谷口吉生の建築には
「ディテールが凄い」という強い印象がつきまとう。なぜだろうか?
病的なまでに異常にこだわるディテールの鬼なのだろうか?
そういう側面もあるのだろう(知らないけど)

しかし、こだわり度合いだけではない他の建築家とは決定的に違う
何かがあるように思う。 それは何だろう?

思うに、
「こだわる方向性の違い」なのではないだろうか?

通常「こだわり」って「個人的な思いやイメージ」の具現化へ向かっていく
ものだとすると、谷口さんの場合なにか違う気がする。
個人的というよりもっと普遍的なものへ向かってこだわっているような。

例えば、宮大工が自分の個性の発揮ではなく、受け継がれてきた
あるべき神社や寺の姿へ向かって徹底的にこだわるような。

実際、谷口さんの建築にはいつも神社に似たような清浄感を感じるのです。
とても心地が良くて清清しい。

なんというか空間に「引っ掛かり」がない。
具体的に出っ張りがないとかという意味ではなく。
精神がスーッとまっすぐ伸びていく感じ。

外構バランス1横

外構バランス2横


これは空間に建築家やデザイナーの安易なエゴが残存していないという
ことが大きいんじゃないか。

言い方を変えると、谷口さんのこだわりとは
全体のプロポーションやバランスに対するこだわりなのではないか。
あるべき全体の完成度のためにディテールにこだわるというこだわり方。
そしてあるべき全体像とは、そこに居る人がどう感じるかに立脚している。

逆に全体像としてのグランドビジョンがなければディテールにこだわった仕事は
完成度の高い細部の寄せ集めで終わってしまう(日本人にありがちかも)

そして谷口さんの仕事は、このグランドビジョンがある普遍性に触れている、
という気がするのです。

普遍性とは「ひとつの型=プロポーションやバランスの一定の法則」
といってもいいかもしれない。
だから「どれも似ている、代わり映えしない」と言う人がいるかもしれない。

ラスト

バランス横1

バランス横2


クリエーターと称する人や意欲に溢れた建築家たちはともすれば
「型」や「法則」というものを極端に嫌う傾向にあると思いますが、
(自分も若いときはそうだった・・・・)
でも時代を超えていくような優れた仕事の背後には必ず
普遍的な法則のようなものがあると思います。
そして何十年か何百年かごとに新しい法則が発見・追加される・・・
次の法則発見までにはそのバリエーションが展開されるだけ。
(Tクーンの科学パラダイム論と同じですね)

「こだわり」というのは方向性を間違えると施主やユーザーや客にとって
迷惑なだけという悲劇を生むこともある、極端な話し。

たとえば最近「こだわり」を謳った飲食店ってすごく多いですね。
でも、幸福なまでの食事を提供してくれる店って滅多にありません。

それは多分「提供すべき食事」というグランドビジョンの中に
そのこだわりがきちんと位置づけられていないからではないか。

ほとんどの客は大将やマスターのこだわりに感心したいのではなくて
いい食事を楽しみたいだけなんですね。

僕はこの美術館でとても幸福な時間が過ごせた。
(東山魁夷の絵にはまったく興味がもてなかったけれど)

だからオッケーです。

犬

作品と空間の新しい関係(TARO NASU OSAKA )

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2007-04-18 Wed 00:57:44
  • 建築
大阪市 TARO NASU OSAKA
青木淳個展taro nasu bambi
2006年11月4日(土)~2007年1月28日(日)

昨年3月に始めたこのブログ。
100タイトルを自己ノルマに掲げてた以上、やります。
予定より随分遅れているけれど・・・必ずやります。


20070418004054.jpg


作品と空間の新しい関係

昨年のオープニング展でご紹介したようにTARO NASU OSAKAは、
「現代美術を見せる空間=ホワイトキューブ」という公式を
打破することを課題として生み出されました。

そこにおいて出展作家は、作品だけでなく展示空間をも含めた
新しいプレゼンテーションが求められているのです。

今回の「青木淳個展 taro nasu bambi 」は設計者自身の
個展ということで、自らの問いかけに自ら回答を試みるという
ある種スリリングな企画だったわけですが・・・

果たして青木氏が提示してみせた作品空間を体験してみて、
「うーん、なるほどっ!」と唸らされてしまいました。

20070418004139.jpg

行われていたことは極めてシンプルです。

TARO NASU OSAKA自体を構成している木毛セメント板を
パーツとして立方体の光る箱をつくり、その箱をつなぎ合わせ、
細胞分裂のように内部空間において増殖、分岐させていく
というそれだけのものです。

20070418004215.jpg

20070418004151.jpg

20070418004203.jpg

20070418004227.jpg 20070418004257.jpg

しかし、このシンプルな操作によって空間は多様多彩に分節され
立ち位置や視点の角度によって無限の相を見せるようになるのです。
ふと利休の茶室やミースのパビリオンを思い出しました。
シンプルさと豊かさは決して相反するものではないのですね。

そして重要なことは、
「作品と空間は一体の切り離せないものとして提示されている」
ということです。

個々のパーツは作品でありながら空間全体の構成素でもある。
あるいは同時に空間全体が作品としても成立している。

20070418004237.jpg 20070418004533.jpg 
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この投げかけに答えなくてはならない作家さんも大変です(笑)

しかし他人事ではありません。

今回の試みで露わになっているように、
「空間」とは物質的条件に規定されながらも「実体」ではなく、
「文脈」や「関係性」に近い性質を持つものです。

あるいはゲシュタルト心理学でいう「地と図」のどちらにもなり得るというか、
(同じ図柄からおばあさんが浮かんだり、アヒルが浮かんだりするやつ!)
「脇役」にも「主役」にもどちらにもなり得るというか、
まあ、つかみ所のないものですね。

その変化自在な「空間」を語ることばを
僕たちはまだ本当には獲得していない気がします。

もしくは非常に貧しいままだ、と。

僕自身の課題というか、挑戦はそこにあるべきだということを
改めて思い知らされたのでした。

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直線と曲線の合わせ技(慈光院)

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2007-04-15 Sun 21:20:52
  • 建築
奈良 大和郡山市 
慈光院

先日、琵琶湖ホールで観た「ローザス」のダンスに興奮。
昔からコンテンポラリーダンスが好きでたまに観にいく。
しかし、ダンスを自分で踊るのが楽しいのはわかるが、
観るだけでも楽しいのはナゼなのか?新しい課題・・・


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直線と曲線の合わせ技

慈光院を建立した片桐石州公は、土木普請奉行として
江戸幕府に仕えながら、禅と茶の道をも求めて大徳寺に
参禅しその道を修め、利休・三斎・綾部・遠州の後を追って
第4代将軍家綱の茶道指南役にまで出世しました。

世に「茶は石州、剣は柳生」と謳歌されたように、
当時の茶道業界のドンといってもいいような存在だったはずですが、
書院と枯山水を中心とする慈光院の空間は「権威主義的な匂い」や
「形式ばった堅苦しさ」がまったく感じられません。

建築や造園のすべてを知り尽くし、芸術的感覚も備えた貴人である石州公が、
なんの知識も教養もない一般人に対して「な?なんか落ち着くやろ?
エエ眺めやろ?ゆっくりしていってや~」と語りかけているかのような
自由で開かれたサービス精神で満たされている気がします。

中心的な建物となる書院は、
入母屋造茅葺屋根に桟瓦の庇をめぐらした農家風外観でとても庶民的、
形式には囚われない石州公の自由な精神を象徴しているかのようです。

20070415205919.jpg

しかし、ここは単純に形式を転倒させて戯れているだけの
コンセプチュアルアートのような薄っぺらな自己満足的
作品ではありません。

空間体験においては、「直線的空間」と「曲線的空間」の
理想的な出会いと言えるような空間デザインの妙を
堪能することができます。

直線的空間とは、細く上品な柱が造り出す端正な書院方丈、

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曲線的空間とは大刈込みの見事な枯山水の書院庭園、

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この2つの空間は低い軒と広い縁で一体に接合されながら
お互い対照的に際立たせ合うという重層的な関係にあって、
作用と反作用の二方向の力が織り込まれることで
空間に限りない深みと味わいが生まれていると思います。

20070415210041.jpg

端正な方丈空間に座し、スッと背すじが伸びた状態で庭園を眺めると、
そこは曲線で構成された抽象的な自然造形の世界が広がっています。
さらには大刈込みの生垣越しに大和東山を眺める借景手法でダメ押しをくらい、
ココロはどこまでも自由に飛翔していきます。

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「ほどよく規律に沿いながら(成約を受けながら)
 ココロに自由な空間を出現させる」


そういった相反する状態が、実は最も心地よいものであり
いまの時代に求めているものである気がしてなりません。

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