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庭/ガーデン Archive

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まだ枯れていない枯山水(東福寺 方丈庭園)

京都府 東山区 
東福寺 方丈庭園

重森三玲は1000以上の庭を実見し、約400庭の実測を
2年半で終えたそうです・・・・このブログで100タイトルを目指す自分は、
どんだけ小さいねん・・・


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まだ枯れていない枯山水

東福寺は鎌倉時代に創建された臨済宗の古いお寺ですが、
この方丈庭園は昭和13年に、日本庭園の改革者と呼ばれる
作庭家・重森三玲によって作られた枯山水式の禅院庭園です。

住職が生活をする方丈の四周に庭園がつくられているのは
ここが唯一らしいですが、西庭と北庭の「市松」をモチーフに
モンドリアンの影響があるとも言われる抽象的な表現は
特に有名ですね。

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確かに幾何学的なグラフィックデザインを図面にしたかのような
作庭ぶりは新鮮で、大胆で、従来の日本庭園のイメージを刷新する
インパクトに満ちていて、非常に興味深いものでした。

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しかし、四庭の中で僕にとって最も強烈だったのは「南庭」の石です。

入口の受付から廊下を歩き方丈へ向かう途中で最初に
「東庭」が目に入り、次に突然現われてくるのが「南庭」ですが、

そこに配された巨石群を見たときの<感触>をどう表現すればよいか?

何か場違いのような、浮いているような、しっくりこない感じ、
そして、なんとも言えない「生々しさ」を感じたのです。

料理屋で「干物」を注文したら「レバ刺し」が出てきてしまって、
「いやそれはちょっと胃腸が準備してなかった・・・」みたいな・・・

枯山水の庭園というと、
食物なら「生もの」より「乾きもの」を
ヒトなら「精力に満ちた若者」より「仙人のような老人」を
イメージしまね、普通は。

それが妙にナマっぽくて、艶っぽいのです。

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特に四仙島を表現している巨石群は
まるで生きた人間が魔法使いに石に変えられてしまったかのような、
今にも息づかいが聞えてきそうな感じなのです。

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生きた人間を石に変えて、庭に配置して、眺める・・・
想像するとちょっと怖いですね・・・

まあここが怖いということではないのですが、
通常の枯山水と向き合うときとは、全く違う感触が
湧き上がってくるのです。

まるで、ここだけが他とは質の異なる生命フィールドが
魔術的な力をもって立ち上がっているかのようです。

しかし、ふと思います。

歴史ある枯れた枯山水は、
作られた当時から「枯れていたのか?」と。

人間と同じで生まれて若いうちはピチピチだけど、
時間を重ねるに従って味が出て枯れていくように、
庭園もまた同じであるとしたら?

僕たちが現在見ているもので、当時とは全く異なった姿なのに
それを忘れてしまっている例はだくさんあります。

例えば奈良仏教の建造物や仏像などは、色褪せたり、
金箔が剥がれたりして今の渋い姿になっていますが、
当時はこの世のものと思えない華やかで壮麗な
地上の極楽再現状態だったでしょう。

あるいは仁徳天皇稜なども今は鬱蒼とした巨大な森ですが、
当時はピカピカに輝くセラミックを敷き詰めた
ピラミッドにも劣らない世界最大級の建造物でした。
(宮内庁は復元して一般に公開すべき!)

だからこの庭園も長い年月を重ねれば他の枯山水と同じ
「シニア枯れ組」に入っていくのかもしれませんね。

しかし、もう一方でそうではないかもしれません。
というのは、重森三玲は作庭にあたって、
「モダンであること」を大切にしてたらしいのです。

それが「現代風、今風」ということでなく
「永遠にモダンであり続ける」ことを意味しているなら、
意図的に「枯れない枯山水」を生み出そうとしていた
真のイノベーターだったということになります。

果たしてどちらなのか?

何百年も後のことは確かめようはありませんが、
この生々しさが昭和13年から70年近く保たれていることを考えれば
後者かな?という気もします。

永続する生命の躍動感のようなものを庭(石)に込めることが
意図的に出来るとしたら、それは一体どんな魔術なのでしょう?

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街に染まる前の光(何必館)

何必館・京都現代美術館
光庭

久しぶりの更新です。
ちょっと体調を崩して寝込んでいました。
多分、ワールドカップ疲れと冷房と
ダイエット後の肉食続きのせいです・・・
寝込むたびに「健康命!」と心に誓うのですけどねぇ

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街に染まる前の光

普段大阪で生活していて、たまに京都へいくと
街なかであってもホッとした気分になります。

でも、京都の河原町や祇園界隈を歩いていて
この「光庭」を訪れると、またホッとした気分になります。

このふたつの「ホッとした気分」はもちろん種類が違います。

大阪から京都へ来るとホットするというのは
街を知っている人には、まあわかりやすいですね。

でも京都の市街地を歩いていて何必館の光庭へ行くと
ホッとする理由は自分でも謎でした。

観光客があまり多くないとか、芸術作品があるとか
ということでもなさそうです。
他の美術館では同じ「ホッ」は感じないので。

ちょっと考えてみました。
多分「ホッ」の原因は「ニュートラルな光」です。

写真の通り、この光庭の上には円形の大天窓(というか穴)
からダイレクトに光が差し込んできます。

ガラスにも何にも遮られることなく、太陽の光がそのまま
中へと注り込まれてきて、樹の葉で拡散し、壁に反射しながら
とても気持ちよい空間をつくってくれるのですね。

そしてその光が、京都に染められる前の
純粋無垢な光だからこそ、少しホッとした気分になれる
のだと思い至ったのです。

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京都の街は言うまでもなく非常に魅力的な空間ですが、
千年の歴史によって堆積したある「重さ」が付きまといます。
それは伝統や格式などと呼ばれたり、風情や情緒と呼ばれたり、
よいこととして、無比の魅力として表現されますが、
あらゆるものをその磁場に引き込んでしまう
重力のようなものもまた渦巻いている気がします。

それは一種の強制力でもあるわけですが、
訪れる人はみんなその強制のされかたが心地好かったり、
新鮮だったり、味わい深かったりしているわけですね。

でも、その力はあまりにも強いので京都にあっては
すべてのものが京都の磁場に染まってしまいます。

そして「光」ですら例外ではない
と思うのですね。

純粋無垢だった光は京都の街並にとどくや否や、
京都に染められていくのです。

光が街に染められる。

そんなことが起こるのは日本でも京都だけではないでしょうか?

だからこそ京都は日本で最強の都市アイデンティティが
保てるわけですけども。

そのような中にあって、何必館の光庭には
京都の街に届く前に、ニュートラルな状態で切り取られ、
心ばかりの小さな空間に届けられるのです。

つまり祇園のど真ん中にありながら、ここだけが
エアポケットのようにニュートラルな光の空間となり
強力な京都磁場から一瞬開放してくれるのだと思います。

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