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空間快楽/気持ちいい聖地とは?

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2013-05-18 Sat 02:49:00
  • 聖地
「気持いい空間」をテーマに活動していてるフェルニッチ初の著書、
『空間快楽案内―気持ちのいい聖地 関西編』というタイトルには、
聖地へのひとつの入り口として、「気持ちいい空間という側面を体験してみてはどうだろう?」
という提案が込められている。

これまで聖地に縁のなかった人たちにも興味をもってもらえるよう(≒たくさん売れるよう)、
できるだけハードルを下げて割り切った本のつくりになっているのだけど、一方で危惧も感じている。

空間の快楽や聖地についてのスタンスをちゃんと説明のないままあの本を出しっぱなしというのも
よくないのではないかと、ずっと気になっている。

もちろん、「まずは難しいことは抜きにして、自分で気になる聖地を訪れてみて、
自分なりにいろいろ感じてみてほしい」という提案には嘘偽りはないし、
フェルニッチのファーストメッセージであることには変わりはない。

ただ、「気持いい」が、安楽でイージーなだけのフワフワしたイメージ記号として広がってしまうと
自分が体験してきたことや感じてきたこと、伝えたいことから離れていってしまいそうな気がしている。
(出版とは多少なりともそういうものなのかもしれないけれど)

少なくとも、フェルニッチのいちメンバーとして「空間快楽」や「気持いい聖地」というものを
現在進行形でどう考えているのか、は言っておくべきだと思い、ちょっとややこしい話しになりますが。



いったい、「聖地が気持いい」ってどういうことなのか?

いろんな側面、いろんな言い方が可能な中で、あえて一言でいうと、

「エクスタシー感覚」をもたらす

ということになる。

個人的に面識のある人は「また藤田のエロ話か」と思うかもしれないけど(いやそれもあるけど)、
この「エクスタシー」は単なるエロ用語としてではなくて、
語源のギリシャ語「エクスタシス」=外に立つこと という意味に拠ったイメージを強調したい。

忘我、脱魂など、自己という枠組みから抜け出ていく感覚や状態のことで、
つまり「自己の外に」というところがキモ。

日常生活で自分を縛っている自意識や自己感覚が揺らいで、そこから抜け出て、開放されるような感覚。
これはすこぶる気持ちいい体験だけど、自分より大きな何かに畏怖の念を覚えつつ身をゆだね、
自分を手放す勇気みたいなものが必要になってくる。

何か危ない幻想状態や白昼夢のようなイメージを与えてしまうかもしれないけれど、
むしろその逆で、きわめてしっかりしたリアルな空間領域に入るという感覚がある。
尊い姿が見えたとか、お告げが聞こえたなどということは全くなくて、
ただただ日常とは異なる穏やかな空間の感触の中に浸っているだけ。それがなんとも至福の時なのだ。
(もうひとつは時間感覚の変容があるが、別の機会に触れたい)

こういう感覚体験がより意義深いとか、次元が高いなどど言うつもりはないけれど、
「自分の願望を成就したい」とか「神秘的なパワーをチャージしたい」といった慾我状態とは
全く異なったものであることは確かだ。

自分も以前はそうだったから否定はしないけれど、
ご利益やパワースポットという自己強化の視点だけで聖地を捉えるのは、
体験の可能性をせばめてしまうんじゃないかな、と思う。

それに、神聖な空間としてみだりに出入りが禁じられてきた場所もあるなかで、
一方的に、しかも突然何かをおねだりしに行くという行為はどうなのか、というためらいもある。
(この問題はまた別のところでちゃんと考えたい)

だから個人的には、聖地で参拝する際に、個人の願望成就を祈ることは今はほとんどない(昔はあった)
特定の信仰をもたない自分はあくまで部外者であり、場合によっては侵入者だ。
少なくとも謙虚な気持ちと姿勢は忘れないようにしている(たまに忘れてしまうが)
初めての場所であれば、自分が何者で何しに来たのかを心の中でご挨拶し、その場所(の神仏のにため)に祈る。
あとは、できるだけニュートラルな意識で自分が受け入れられるのを静かに待っているだけだ。

うまくいけは、先のエクスタシー感覚につながっていく。
それがどういう仕組みでそうなるのかはわからないが、
個人的には「空間の力と自己認知の関係」として解釈できたらと思っている。

そんなことは幻覚か錯覚であり、ただの主観でしかない、という指摘はあり得る。

ただ、たとえもしそうであっても、
何千年か、おそらく何万年も前から、無数の御先祖様たちが同じように(全く同じかどうか証明困難だけど)、
感じ続けてきた、経験しつづけてきたということが重要であり、それこそが聖地なのだとも言える。

例えば、聖地を考えるうえで避けては通れない必読本『聖地の想像力』(集英社新書)の中では、
著者の植島啓司氏は過去の例を批判的に検討しながら聖地の再定義を試みている。

「石組がある」「夢見の場所」「光の記憶を辿る」などなど9つのポイントが揚げられている中で、
最も重要だと思えるのが、「聖地では感覚の再編成が行われる」というもの。

これは自分の体験と照らし合わせてもしっくりくるし、
特別な信仰をもたない現代人が聖地を訪れる上でとても重要な意味を持つと思う。

しかし、この「感覚の再編成」とは一体どういうことなのか、
残念ながら本の中では暗示的に語られるにとどめられていてなかなか分かりずらい。

だから過去の聖地連載では、自分を1サンプル(実験体)に見立てて、
聖地でどういった「感覚の再編成」が自分に起こるかを自己観察してきた側面がある。

そしてそれらをまとめて思いかえしてみた時、
自分より大きな世界へ溶け出ていくようなエクスタシー感覚が、
聖地体験の中で最も鮮烈で、核になるものであると思えるし、
本のタイトルの「気持ちいい(聖地)」という表現に込められたエッセンスでもあるのだ。

そして聖地だけでなく、商業施設などの人工的な空間も含めて
そうしたエッセンスを多少なりとも含み持つ空間を「快楽空間」として捉えたいと思っている。
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