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差し込まれる救済の手(東本願寺 視聴覚ホール)

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2006-06-09 Fri 17:34:33
  • 建築
京都市 東本願寺
参拝接待所・視聴覚ホール

20060609170427.jpg


差し込まれる救済の手

いつくか宗教建築を見て回るうちに、
その建築形態には、人と神や現世とあの世(天国)などの
関係性がなんらかのかたちで現在化しているのでは?
と思うようになりました。
たとえ、設計者が意識していないにしても。

その意味で、この東本願寺の視聴覚ホールは
親鸞の唱えた真宗(浄土真宗)における
人と仏の関係性が極めて象徴的に現われている
と思います。

決して広くはないモノトーンを基調としたモダンな空間に
末広がりの巨大な円筒というか、上部をカットとした
円錐形の空間が上からはめ込まれ、
その内部が視聴覚ホールとなっています。

ホール付近に居ると、ホール(円筒)の全体像を
視野が捕らえることが難しいので、
巨大な何かが天から差し込まれているような、
圧倒的な非現実感があります。

そしてその円筒の差込口となる天井には、
三日月型の天窓が現われ、眩しい光が
さまざまの形態に刻一刻と変化しながら、
空間内に降り注いできます。

20060609170629.jpg 20060609171801.jpg


20060609172714.jpg  20060609170641.jpg


この光景が象徴しているのは、
天からこの地に差し込まれてくる「救済」の感覚
だと思いました。

そして同時に孫悟空の話しを思い出しました。
孫悟空がお釈迦様の手の平からぐんぐん飛び去って
しばらくしてから大きな柱のところで一休みしたら、
その柱は仏の指だった、という例の話です。

親鸞といえば、「南無阿弥陀仏」と唱えれば
阿弥陀如来が誰でも平等に救ってくれるという
他力本願の「救済」ですね。

ということはその救済者(仏)は絶対的な安心を
もたらしてくれる巨大な存在でなくてはいけないはずです。

そしてその巨大な存在の一部が、
もっと言えば仏の救いの手(指?)が
天からこの地に差し込まれてくる=差しのべられている
というイメージを現在化することが、暗に
この建築に求められていたのではないでしょうか。

だからこそ差し伸べられた手=視聴覚ホールの内部は、
混沌としたこの世の猥雑さを忘れてしまうような
美しく均整のとれた平穏な空間として表現されているのでしょう。

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 20060609170610.jpg


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