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天系聖地の不思議②(伊勢神宮)

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2008-02-08 Fri 22:55:42
  • 聖地
三重県 伊勢市
伊勢神宮

これまで資料を調べて書くということを意識的に避けてきたのですが、
これからちょっとそういうこともやってみようと考えています。時間がかかるのが難点ですが・・・
だけど、「現場を訪れてその印象や感覚を大事にする」という基本方針は変わりません。


外宮
写真ないので・・・外宮です・・・

天系聖地の不思議②

前回、伊勢神宮についてちょっと調べてみると、いかに自分が何も知らなかったか
ということに気づかされたと言いました。

そして自分が知らなかっただけでなく、研究者の間でもその成り立ちについては諸説があり、
誰もが納得する決定版となる説がまだ確立していないということにも驚かされました。
つまり、私たちは自分たちの国の最高位に位置する神社と祭神について、
その出自の確かなことを知らず曖昧なままにしている、ということです。

こんな文明国が他にあるのでしょうか?(あったらゴメン)
例えば、明治天皇が行幸するまでは天皇が伊勢神宮へ直接参拝したことがなかったという
事実も驚きでした(御醍醐天皇だけは例外)

それはさておき、調べている中で特に重要だと思ったことが3つあります。

①「アマテラス神は初期ヤマト政権の奈良の宮中から追い出される格好
で最終的に伊勢に至った」ということ。

②「伊勢に鎮座したときも、最初から現在の場所にあったわけではなかった」という説があるということ。

③「現在我々がイメージする伊勢神宮の格付けやアマテラス神の至高性、は、
壬申の乱に勝利した天武天皇の時代以降に形成された」らしいこと。

①については、現在我々がもつ天照大神のイメージを覆すようなことが
含まれています。それは一言で言うと「アマテラス神は祟りをもたらす、
手に負えない存在として捉えられていた」ということです。

もともとアマテラス神は天皇が住む宮殿内に祭られていました。
しかし祟神天皇の時代、疫病が大流行し多くの人民が死に絶え、その後に
人民の謀反が起こった頃に、アマテラス神は宮外へ遷されることになりました。
なぜなら、その混乱が「威力が強力すぎるアマテラス神」が起因となっていると
考えられたからです。祟神天皇は自分の力ではアマテラス神の祟り=威力を
抑えきれずに宮殿から外(倭の笠縫邑)へ遷すことでその「勢」を鎮めようとした。

そして疫病が収束した後も、アマテラス神は二度と宮殿に戻されることはなく
諸国を放浪し、その果てに伊勢国にたどり着き、そこに建てられた「祠」が
伊勢神宮の起源となった、と。

荒祭宮1
天照大神の荒魂を祭る荒祭宮(内宮)

そして②では、その起源となった「祠」は現在の伊勢神宮とは違う場所
だったのではないか、と主張されています。
その説では、最初に多気郡多気で成立した伊勢神宮(の原型)は、
後に度会郡宇治に遷されたと考えます。

おおざっぱな流れでは、ヤマト初期王朝の宮殿から追い出されたアマテラス神は
流浪の末、伊勢の地に辿り着き、伊勢神宮の原型ができた。
その後、伊勢神宮(原型)を戦術拠点として壬申の乱で勝利した天武天皇は
伊勢に斎王を派遣し、それをもって現・伊勢神宮の礎が築かれた。

しかし、天武崩御後、大津皇子の変に関連して斎王は任を解かれ都に戻り、
伊勢神宮はまたもとの祠(原型)に逆戻りしてしまう。

そして夫・天武の遺志をついだ持統天皇が、壬申の乱による新国家建設は
天命にもとづくものでありその天は中国から独立した一つの天下である
日本の天であることを国民に納得させるために、伊勢神宮を度会に遷し、
日本の天の最高神である天照大神を祀る唯一最高の神社として、
装いも新たに創建した(転生させた)のが、現在の伊勢神宮の起源である、
とするものです。
そしてそれこそが③の現在の伊勢神宮の格付けと天照大神のイメージの出発点となった。

ですから日本書紀が伝える伊勢神宮とは装いも新たになる前の伊勢神宮であり、
鎮座する場所も、創立の時期も、天照大神の神格も、建築の様式もすべて
現在とは違っていただろう、という仮説が立てられます。

風日祈宮
風日祈宮(内宮)

さて、いったい事実がどうであったのか、それらの仮説が正しいのかについては
もちろん判断できませんし、研究者の間でも決着がついていないようです。
ただ、自分が伊勢神宮で感じたこととこれらの仮説がなんだかうまく
リンクしそうな気がしたのです。

つまり、現在の伊勢神宮以前にあった別の場所のプレ伊勢神宮は、
その土地固有のエネルギーをもつ、他と同様の聖地のひとつであった。
しかし、現在の場所に遷され、日本という国家を保証する格を与えられた
新生・伊勢神宮の成立とは、いままでにはなかった、土地固有のエネルギーを背景としない
新しいタイプの聖地の誕生だったのではないか?
ということです。

ご存知の通り、各地の豪族の酋長連合の代表であったヤマト政権の大王から、
初めて「天皇」という超越的な絶対権力の地位についたのは天武天皇でした。
そして、「日本」という国家名が初めて使われたのも天武天皇の時代です。

その古代日本における一大革命期に、「天皇」と「日本国」という新しい
制度や世界観を支えるものとして伊勢神宮が必要とされた。
だからこそ、伊勢神宮はある土地の固有性に根ざした従来の聖地とは
まったく異なった聖地として成立させる必要があったのかもしれません。
そのパワーは大地からではなく、国全体に降り注ぐ天からのものでなくては
ならなかったのです。

しかし、そのエネルギーの物理的な根拠となるものは、
残念ながら今の僕にはまったくわかりません。
他国の唯一神や国家神の聖地を訪れて比較してみたいものです。

余談ですが、それにしてもそれほど大革命であった壬申の乱や
革命家・天武天皇にいまイチ光があたらず、伊勢神宮との関係もあまり
触れてはいけないような空気がある気がするのは何故でしょうか?

おそらく明治政府の宗教改革(伝統破壊)や皇国史観などが
絡み付いていてそこを解きほぐしていかないと、現在の変な感じ
が払拭されてスッキリすることはないのでしょうね。

美しい国とか言うてる場合ちゃいますよね(あ、辞めはったか・・・)

外宮土宮
土宮(外宮)

参考
・「伊勢神宮」川添登 (筑摩書房)
・「アマテラスの深みへ」斉藤英喜(新曜社)
・「アマテラスの変貌」佐藤弘夫(法蔵館)
・「伊勢の神宮」神宮司庁
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