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ディテール原論 (東山魁夷せとうち美術館 )

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2008-03-05 Wed 23:01:33
  • 建築
香川県坂出市
東山魁夷せとうち美術館

それにしても危機的状況が続きますなー
「えっ?何のこと?」と思った人は日本病です。
聖地へ行って感受性を高めましょう。。。


メイン



ディテール原論

昨年、東京から訪ねてきたデザイナーの友人と
「日本がヤバイ(悪い意味で)、世界から置いていかれようとしてるのに
何故みんなこんなに危機感がないのだろう?」
というような話をしていた(まだ日本株が暴落する前)
その時に、香港の金持ち連中とも仕事をしている彼が言ったことは
「日本人はディテールで勝負するしかない、そこでしか勝てない」だった。
至極名言である、と思う。(たまに名言を吐く奴なんです)

そしてこの年初、「東山魁夷せとうち美術館 」を訪れたとき、
改めて「ディテール」の意味を考えさせられた。

看板


設計は、僕の好きな数少ない日本人建築家のひとり、谷口吉生、さん。

東京国立博物館の法隆寺宝物殿や豊田市立美術館のようなキレキレの
設計が有名で、ほんとディテールの鬼のような人。
(いや実際は全然知りません、印象です)

で、この「東山魁夷せとうち美術館 」はイマイチ地味というかあまり
光が当てられることもなく、中にはやれ片手間仕事だの仕上げが粗いだの
建築分野からは厳しい眼差しを向ける人もいるようであります。

でも僕は現地でとてもいい気分を味わうことができたし、
やはり「ディテールの凄さ」を感じたわけです。

確かに指摘されているような「仕上げ」に関する甘さがあるのかもしれません。
(気付かなかったけど)
そうだとすればそれは「ディテールに優れている」と言うことはできないの
かもしれません。普通は。

でもそれでも僕は「ディテールが凄い」と言いたい。

ディテール縦1 ディテール縦2

ディテール横3

ディテール横2

ディテール横1

ディテール横4


通常「ディテールに優れている」とは、「細部に気を配り、妥協せずに
完璧な仕上げを目指す」というような良き職人的な仕事をイメージしますね。

それはその通りだと思うのだけど疑問に思うのは、
「ディテールにこだわらない一流の建築家」なんて存在するのか?
ということ。多分あまりいないでしょう。
キャラ設定上「豪放さ」を売りにしている安藤忠雄にしたって、
最後のコンマミリ単位にまで妥協しないかどうかが一流との分かれ目だ
というようなことを言っていたし。

しかし、そんな一流の建築家達の中にあっても谷口吉生の建築には
「ディテールが凄い」という強い印象がつきまとう。なぜだろうか?
病的なまでに異常にこだわるディテールの鬼なのだろうか?
そういう側面もあるのだろう(知らないけど)

しかし、こだわり度合いだけではない他の建築家とは決定的に違う
何かがあるように思う。 それは何だろう?

思うに、
「こだわる方向性の違い」なのではないだろうか?

通常「こだわり」って「個人的な思いやイメージ」の具現化へ向かっていく
ものだとすると、谷口さんの場合なにか違う気がする。
個人的というよりもっと普遍的なものへ向かってこだわっているような。

例えば、宮大工が自分の個性の発揮ではなく、受け継がれてきた
あるべき神社や寺の姿へ向かって徹底的にこだわるような。

実際、谷口さんの建築にはいつも神社に似たような清浄感を感じるのです。
とても心地が良くて清清しい。

なんというか空間に「引っ掛かり」がない。
具体的に出っ張りがないとかという意味ではなく。
精神がスーッとまっすぐ伸びていく感じ。

外構バランス1横

外構バランス2横


これは空間に建築家やデザイナーの安易なエゴが残存していないという
ことが大きいんじゃないか。

言い方を変えると、谷口さんのこだわりとは
全体のプロポーションやバランスに対するこだわりなのではないか。
あるべき全体の完成度のためにディテールにこだわるというこだわり方。
そしてあるべき全体像とは、そこに居る人がどう感じるかに立脚している。

逆に全体像としてのグランドビジョンがなければディテールにこだわった仕事は
完成度の高い細部の寄せ集めで終わってしまう(日本人にありがちかも)

そして谷口さんの仕事は、このグランドビジョンがある普遍性に触れている、
という気がするのです。

普遍性とは「ひとつの型=プロポーションやバランスの一定の法則」
といってもいいかもしれない。
だから「どれも似ている、代わり映えしない」と言う人がいるかもしれない。

ラスト

バランス横1

バランス横2


クリエーターと称する人や意欲に溢れた建築家たちはともすれば
「型」や「法則」というものを極端に嫌う傾向にあると思いますが、
(自分も若いときはそうだった・・・・)
でも時代を超えていくような優れた仕事の背後には必ず
普遍的な法則のようなものがあると思います。
そして何十年か何百年かごとに新しい法則が発見・追加される・・・
次の法則発見までにはそのバリエーションが展開されるだけ。
(Tクーンの科学パラダイム論と同じですね)

「こだわり」というのは方向性を間違えると施主やユーザーや客にとって
迷惑なだけという悲劇を生むこともある、極端な話し。

たとえば最近「こだわり」を謳った飲食店ってすごく多いですね。
でも、幸福なまでの食事を提供してくれる店って滅多にありません。

それは多分「提供すべき食事」というグランドビジョンの中に
そのこだわりがきちんと位置づけられていないからではないか。

ほとんどの客は大将やマスターのこだわりに感心したいのではなくて
いい食事を楽しみたいだけなんですね。

僕はこの美術館でとても幸福な時間が過ごせた。
(東山魁夷の絵にはまったく興味がもてなかったけれど)

だからオッケーです。

犬
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