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バレ・ソファという晒し場(プリ・バグース・チャンディダサ)

  • Posted by: 藤田祐一
  • 2009-03-25 Wed 17:01:08
  • ホテル
バリ島 チャンディ・ダサ
プリ・バグース・チャンディダサ

しかし、世の中思った通りにいかないものです。
が、たまには思ったこと以上のことが起こります。
昨年末までエルマガジンで連載していた「そうだ聖地へ行こう」が
若干リニューアルして、5月売りのミーツから再開することとなりました(パチパチ)
そちらの方もヨロシクですー


メイン

バレ・ソファという晒し場
今回の旅では「自分を晒(さら)したい」という願望があった。
もちろん暴露や露出じゃなくて灰汁ヌキのほうである。念のため。
肉体的な疲れや緊張感でこわばった精神、仕事のために詰め込んだ大量の情報、
そうしたものを自然に晒すことで流したい、一旦クリアにしたいと思っていたのだ。

晒すためには、風や波の力を借りるのが一番。
だから今回はウブドだけでなく、海へも行こうと決めていた。
しかし、クタは論外としてヌサドゥアやスミニャックではちょっと落ち着かない。
サヌールはちょっとアリだが、晒す目的にはちょっと合っていない、かといって、
ロビナやアメッドは遠すぎるし不便そうだ。
適度にリゾート感があって、でもひなびた感も残しつつ不便さは感じないが
静かにボーっとできるところ・・・・
という無理難題をクリアしてくれそうな場所としてチャンディダサを選んだというわけだ。

アプローチ

宿泊は、ビーチが目の前という条件で、プリ・バグースチャンディダサの予約が取れた。
このホテルは特筆すべきサービスや派手さはないが、地元資本による運営にしては珍しく、
オペレーションはキッチリしていて好印象。

別のところで書くかもしれないが、
バリのホテルは一般にオペレーションが最大の弱点だと思う。
「当たり前のことがちゃんと出来ている」という日本人にとってはビジネスホテルでも
当然満たされるラインが、バリでは高級ホテルでもクリアできていないことが多い、ように思う。
日本人の要求度が世界標準から高すぎることを差し引いても、だ。

チェックインしてヴィラタイプの部屋に案内されると、まさにビーチの目前。
うーん、文句なし。そしてビーチ沿いに並ぶヴァレ(東屋)を発見。
これだ!これこそ自分を晒すために求めていた理想的な空間だ。

ヴァレ1

ヴァレ2

小躍りしながら、さっそく陣地確保を目指すがさすがに競争が激しい。
客層の大半を占める我が物顔の西洋人、物陰から隙をうかがう成り上がりインド人、
地元代表のインドネシア人(多分ジャワ人)、各国が入り乱れ過酷な争奪戦を繰り広げている。
日本代表としては、侍ジャパンのようなセコイ、いやスピーディなゲリラ戦を仕掛けてる
しかない。(いや感動しましたぜ)
激闘の末勝利を収め、至福の夕暮れタイムを堪能することができた。

アマン体験者がよくヴァレの心地よさを懐かしそうに語っているが、
果たして、それは至福の空間であった。
床一面に柔らかい革張りのマットが敷かれた、いわゆるヴァレ・ソファというやつである。
初体験なのである。これはいい。
どんな体勢になっても、ゴロゴロしてもずっとソファの上状態なのだ。
通常ソファで寛ぐときは、よほど大型タイプでない限り姿勢や体の方向がソファの形状に
規定されてしまう。身を預けつつ、無意識ではある種の制約を感じている。

しかしヴァレ・ソファだとその限定感をまったく感じないために受け止められ感が全然違うのだ。
全身全霊で身を預けられる感覚だ。そこに加えてこの絶好のロケーションである。
これで気持ちよくならない方がおかしいじゃないか。

ヴァレ3

放心状態で寝転がりながら本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごす。
ユルユルになった自分を風や波に晒していると、いろんなものが流されて
自分が空洞のような、筒抜けの状態になっていく。

ヨット的

10年ほど前、初めてバリを訪れてバリ人を見ていて思ったことがある。
「人間は本当は内面なんて持たないほうが幸せなのではないか?」と。
そんな疑問を抱き、今も変わっていない。
個性だの自分らしさだの、内面の豊かさだの、本当はない方がいい。
というか、そういうことが問題にならない社会や環境の方が幸せなのではないか?

現代は「内面性」というものに対して宗教的なまでに価値を置く時代だ。
「内面に持てば持つほど豊かである」というのはひとつの信仰だと思う。
現実は「内面に持てば持つほど、シンドクなっていく」。
バリ人に複雑な内面的要素がないというわけではない。
(と判断するほどバリ人をよく知っているわけではないけれど)
ただ、例えば我われ日本人が内面に抱えている要素のかなりの部分が
バリ人社会には外在化されているのではないか、と思えるのである。

外在化とは、共同体を中心とした生きる環境である村やその中の寺院といった空間に、
儀礼や芸術といった行為の中に、内部的なものが溶け込んでいる状態というイメージ。

人間としての複雑さの総量は同じでも、それが内外に配される比率が異なっている。
つまり我われの内面のある部分は、バリ人には外部空間化されているということだ。
逆にいえば、共同体が崩壊した世界に生きるために我われは外部からいろいろなものを
内面に引き受けざるおえなくなっているといえるかも知れない。

じゃあ、共同体を復活させればいいのか、というとそんなに簡単ではないだろう。
少なくとも、同じような形に戻すことは不可能だ。
そこで「外部空間と一体化した包括的な自己像=空間的存在」という新しい人間観の登場へ・・・

とまあそんなストーリーで「空間論」を思い描いているのだけれど、
まとまるのは一体いつになるのだろうか?
というか、思いつきのレベルで止まったままだ。
次々と本を出したり、文章を量産する人は本当に凄いと思う。

話が脱線してしまった。
要するに至福のヴァレ・ソファの上で晒されながら見た夕陽は、
なんともいえず、素晴らしかった、です。

日没1

日没2

日没3

日没4

日没5

夜景

時代は内部を保持する「癒し」から外部へ向う「晒し」へ移っていく 
などと考えつつ、日は暮れていくのだった。。。

というのは嘘で、ヨダレを垂れながらただただ自堕落していました。

ブタ

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